それは、ほんとうにあったこと

前のエントリで、
被害そのものの記憶がない、ということを書いた。
まったくないわけではないが、イメージのようなものでしかない。
そのイメージは、まるで幽体離脱のように、
意識がとんで、遠くから自分を見下ろしているようなイメージだ、というようなことを。


それに関することを、「リンダの祈り」から抜粋させていただこうと思う。



「リンダの祈り」 第五章 “トラウマの正体”から一部引用 (p166〜169) 
                               ※強調は引用者


 生き延びるための術


 この生き延びるための術は、性虐待の被害者をサポートする人や被害者本人も、持って生まれた性分、あるいは性格によるものとよく誤解する。しかしこれは個人の意思や性格とは関係なく、虐待を受けているなかで生き延びるために無意識に身につけたものであることを理解してもらいたい。

 被害体験のある人は、これから紹介する生き延びるための術を知ることで、性虐待によって自分が失ったものはなにか、自分はなにに傷ついたのか、“喪失からの痛み”と向き合ってほしい。そしてそれがどのような心の後遺症となって表れて自分を生きにくくしているのかを知り、喪失からの痛みを受け入れてほしい。それを出発点に、心のケアをしながら、失ったものをふたたび自分の手でとりもどしてもらいたいと思う。


 乖離


 被害者には、虐待が起きているとき、厳しい現実から逃避するために心を体から引き離す“乖離”という症状がでることがある。

 自分自身に起きたことではなく、ほかの子どもに起きたことなのだと被害者自身が言うこともめずらしくない。子どもたちは、虐待されているときの状況を、まるで自分が天井にぶらさがっている電球のなかにでもいて、そこから眺めているかのように証言する。「下のかわいそうな女の子に起きていることを上から見ていたの」と。また、虐待されている最中に乖離するため、いつ、どのように虐待されたかは覚えていない子も多い。


 ある女の子は、最後に虐待された日が九歳の誕生日だったので、日にちはよく覚えていた。その日は、友だちが家に集まり誕生日を祝ってくれていた。そこへ義理の父親が来て、彼女と話がしたいから地下室までついてくるようにと言った。そして、義理の父親はその女の子を虐待する。虐待されているあいだ、彼女は乖離し、自分は一階へ上がり、友だちとともにパーティーを楽しんでいることを空想した。そのため彼女は虐待を打ち明けたとき、どのように虐待されたのかはまったく覚えていなかった。

 ある八歳の女の子は、虐待されている最中、自分は売春婦で彼女の父親が虐待を終えたら50ドルの報酬がもらえると自分に言い聞かせた。虐待されているあいだ、彼女はショッピングをしていたからどのように虐待されたのかは覚えていないと言った。多くの被害者は現実に起きていることがあまりにも苦しいため、現実を意識しないよう、心と体を引き離して生き延びる


 私自身、現在も乖離の症状から完全に回復しているかどうかわからない。完全に回復しなくてもよいのではないかとも思う。たとえば、私のような仕事をしていると、その状況にのみこまれないよう、乖離する必要があることもある。法廷で証言するときに批判されたり、被告の弁護士から証人には適さないと攻撃されたりしたときに、私は彼らの言葉に左右されず証言するために乖離する。乖離することで平常心を保つことができるのである。

 適切な時に乖離することを身につけるのはむずかしいが、乖離にコントロールされず、自分で乖離をコントロールできれば、有効に使うことができる。



 抑圧する記憶


 性虐待を受けた人の多くは、虐待の記憶を何年にもわたって封じ込める、これが“抑圧する記憶”という症状だ。記憶とともに虐待が起きたときに沸き起こった感情も封じこめ、すべてなかったことにして生き延びるのである。しかし、成長するにしたがい、抑圧したはずの記憶が、ある小さな出来事によって一挙によみがえり、パニックにおちいることがある。


 これは55歳の女性のケースだ。彼女は病気の母親の面倒を見るために母の家を訪れた。彼女が母親の看病をしていると、義理の父親が風呂場から裸で出てきた。その瞬間、この父親から12歳まで受け続けた性虐待の記憶がよみがえった。彼女は12歳までの記憶がまったくなかったのである。

 また、ある女性は13歳のとき、自分の名前をマデリンからリンに変えた。33歳のとき、弁護士が彼女に連絡してきた際、彼女の本名のマデリンと呼んだ。その名前を聞いた途端、大好きだった祖父からの虐待を思いだした。虐待されたあと、記憶をすべて消すために名前を変えて、虐待はマデリンに起きたのであってリンに起きたのではない、と自分に言い聞かせていたのである。


 記憶を抑圧している人でも、過去に被害があったことをうかがわせる生活パターンを続ける人が多い。アルコールや薬物依存、暴力的な男女関係、離婚を繰りかえすなどだ。なぜ人間関係や仕事において問題を抱えてしまうのか、原因がわからないまま苦しみが続いているのだ。


 しかし、被害体験と向きあい、虐待について語れるようになると、このような生活パターンを変えていくことができる。虐待を受けたときのことを正確に思いだせないとパニックにおちいる人が多い。だが、虐待の詳細を思いだすことが重要なのではなくて、覚えていることにどのように対処していくか、その術を学ぶことが大切なのだ。また、私が見てきたところでは、心の準備ができると、思いだす必要のあるものは少しずつ思いだせるようになる


 ただでさえ自尊心が根こそぎうばわれてしまっていて、自分というものをやたら卑下してしまうくせがついてしまっていることもあったのだろう。


 自分以外のサバイバーの方たちは、その表現力もさながら、自分の経験したことを記憶できていることも、すごいと思っていたし、今も思っている。私は、自分は被害そのものの記憶だけではなく、それにまつわる記憶全てが思い出せなくなっていることが、怖かった。異常ではないかと思った。

 実はそれがごくごく当たり前のことだと知ったときには、本当にほっとした。自分以外のサバイバーの方たちも皆完全な記憶を持っているわけではないとも知った。



 今。私は、ほんとうに少しずつだけれど、思い出すことがふえてきた。それは、リンダさんが仰るように、思い出す必要のあるものということなのかもしれない。わたしが受け入れる準備ができてきたときに、少しずつ思い出せるようになってきたということなのかもしれない。

 詳細を思い出すのが重要ではなくて、覚えていることにどのように対処していくか。これを忘れるとまたぐらぐらになってしまいそうなので、自戒をこめて、胸に刻もうと思う。


 本当にあったことなのか、と否定したくなったり、もっとひどいことがあるのかもしれない、そしてそれがいつ思い出されるかわからない、と思い、怖くなることもある。


 でも、覚えていること、思い出されたこと。それは本当にあったことなのだ。自分を責めるのはやめよう。そして、やたらと不安がるのも、やめよう。あるかもしれないし、ないかもしれない。そのことに振り回されて、ほんとうに大切なことを見失わないようにしたい。  




リンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うためにリンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うために
(2003/06)
リンダ ハリディ=サムナーLinda Halliday‐Sumner

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