人は信じたくないものは信じない


性暴力被害者むけに相談を行っているところは少ない。
他にもアクセスする可能性のある場所というのはあるのだけれど。


そういった人たちのレベルの低さにうんざりする。
かなりストレスフルだ。
被害者であることを特に言っていないのだが、他国のデータを「こんなに多いはずないよね」と平然と言っている人を見ると唖然とする。
内閣府のデータも見ていないのだろう。


そういった人は、言っては失礼だが、勝手なきめ付けで申し訳ないのだが、
セクシャルな対象とされて困った経験がないのだろうと思う人に多い。


そんなひどいことが起きているのか、という驚きは、現実をつきつけてもなお、否定したがる人が多い。


すぐとなりに被害者がいる。
その可能性にすら思い至らないのだ。


よほど「私は性被害にあっています」といおうかと思うことが何度もある。
だんだんと、世間の無関心、興味関心を持ちたくない人に、苛立ちを感じる。


性被害の事実を知るつもりもないのなら、女性問題に関わっているのは何故だろう。
結局は自分の心に向き合えていないのだ。
DVくらいならできるかしら。
そういう意思が透けて見える。


本気で女性問題に関わるつもりならば、性暴力の問題は避けては通れない。
その覚悟がないのなら、その仕事をやめればどうかとさえ言いたくなる。



被害者であることをあきらかにしないと、事実を伝えても、「貴方がそう思うのを押し付けてはならない」となる。
被害者であることをあきらかにしても、こういう人たちは「たいへんだったのね」と表面的な寄り添いで終わりだろう。そして「どう接していいかわからない」と、煙たがるようになるのが手に取るようにわかる。



なぜなら本気で関わるつもりがないからだ。


同情なんていらない。
ただ事実を知ってほしい。
できれば一緒に考えてほしいけれど、それが無理ならば、せめて事実を受けとめてほしい。


それを言っても、そういう人たちはきっと「被害者最強」「被害者だから恨みつらみが激しい」と言うだけだろう。
私の前では言わないにしても。


そう言いたくなる自分の気持ちに向き合えていないのはどっちなのか。
知りたくないものを否定し、そして見てみぬふりをしてきた罪悪感からか。
相手がより正確な情報を知っているということへの嫉妬からか、自分が上に立ちたいというプライドからか。
被害者は弱い存在なのだと決めつけ安心したいからなのか。



無関心と否定は、実は、隠蔽に加担しているのと同じだ。
それを痛感し、どうしたらいいのか、私は頭を抱える。


本気で話せば分かってくれる人も中にはいる。
セクシャルな対象とされたことのない人はわからないかもしれないが。
(どうもそういう人は、セクハラ=モテ意識、というものが見え隠れしてしまう)



たぶんこの人は何らかの性被害を受けている、という方も中にはいらっしゃる。
性暴力の支援者の中には、性的な被害の当事者の方も実は多い。
とはいえ、女性はほぼ誰でも性被害をなんらかの形で受けてはいるのだが。



だが、表立ってはそう声をあげない。
今の私のように。


ああ、私はどうやって進んでいけばいいのだろう。


結局は立場を明らかにしないとまともに聞いてもらえない。
でも、そうすることで失うものが多すぎる。
一線を画されてしまう。


加害者が刑務所にいる間にだけ、たとえば生活圏でないところで話をしにいく、ということも考えた。



私は被害に遭ってから、回復してきた今でも、
どこか人とのかかわりの中で、一線をひいてしまっている自分に気付く。


結局はひとごとだから。ほかの人にとっては。
それを目の当たりにされるとつらいのだ。


苛立ちは、無関心な世の中に対して感じることで、より増幅される。
性暴力を滅多にないものとしたがる人たちは、性暴力被害者を「とても珍しい不運な目に遭った人」として、断絶することで自分を保とうとしている。
そういう人にいくら一生懸命言っても、相手が感情的になるだけだ。



私は自分の気持ちではなく、事実を伝えている。
それすらも、そう受け止めてもらえないのなら、どうすればいいのだろう。
自分のためではなく、他に傷つく人を増やしたくないだけだ。
自分におきたことはもう、どうしようもないのだから。


とても孤独を感じる。
きっと一生、この孤独感はきえないのだろう。
そういう自分とうまく付き合っていくしかない。



女性問題に関わっている人に対して思うことを書いたので、「女性問題」としていますが、性暴力は性差別によりおこるものだと私は思っています。
男性性被害も、性差別ゆえに、ないものとし消されてしまうのだと思っています。


本来、性暴力は、男性サバイバーからのメッセージで、
HEART様が
「性犯罪者は職業選択の時点から計画的であり、回避できない場所と相手を選び立場を利用して行われる理性的なものであり、性犯罪は男女の問題ではなく人間対人間の問題だと理解すべきだ」  と語ってくださったように、

人間の問題、社会の問題なのです。
性犯罪は、社会的な犯罪です。