精子あっての命です

 
「今クリニックで起こっていること ④やむを得ずの出産。」(河野美代子のいろいろダイアリー)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-7b14.html


で、コメントしている人がひどい。


河野様 今晩は。

「今クリニックで起こっていること」についての意見です。

大変デリケートな問題なので、コメントを差し上げるのを躊躇したのですが、先生が本気でこの問題をブログで取り上げておられるのなら、そのブログを読む側も本気でこのことを考える必要があると想い、コメントをさせていただきます。

鉄人の意見は「仏教」の考え方からのものだということをご理解ください。

まず「仏教」では「中絶」ということには、反対の立場をとっています。「中絶」が仕方がないこととされるケースは、母体が危ない場合のみ。それ以外のケースの「中絶」は、「仏教」の考え方としては、許されません。

その理由としましては、「仏教」の根本的な教義に「生き物を殺してはならない」というものがあるからです。

「仏教」では、人間の「生命の誕生」を、出産した時点ではなく、
「受精」した時点で見ています。

ということは、「受精」した瞬間から「人間としての生きる権利」
を持っていることになるのです。

「中絶」によりその「生きる権利」を奪うというのは、「意志」を持って「生きる権利」を断つことですから、結果として「殺人」になってしまうのです。

世の中で決めた法律というルールでは、場合によっては許されるのでしょうが、やはり「殺人」には変わりないのです。

何故「中絶」が許されているのでしょうか。妊娠した女性が、まだ中学生だから。父親が高校生だから。父親が誰だか分らないから。生まれてくる子どもには、何の責任もありません。

生まれてくる子どもより、中学生で母親になる女の子の将来が心配?その女の子の親の世間体が大事?学校の立場が大事?

大切な大切な「命」です。何と比べているのですか?比べられません。

「やむを得ずの出産」。誰にとってやむを得ないのですか。生まれて来た子どもが、大きくなった時「あなたをやむを得ず出産したの」と聞かされたら、その子はどう思うのでしょう。

予定はしていなくても結果として妊娠したのならば、その瞬間からその生まれてくる子の幸せだけを願うのが、人間としてのありかたであり責任だと思います。

確かに母親が中学生なら、経済的に育てることは不可能です。でも
その女の子の親までその責任を放棄するのですか。無事出産しただけでも「良かったね」って言って上げるべきです。

結果として妊娠したならば、大人はそれ以上責めない。責めるからより深く傷つくのです。

そして出産した中学生の女の子と、その親で大事に育てるべきだと思うのです。結局はそれで中学生の母親も生まれて来た子どもも救われるのだと思います。

それがかなわぬ場合は、先生がご尽力されている「養子縁組」が必要だと思います。それでその子が幸福になる可能性は十分にあります。

性教育」につきましては、学校にあまり過剰に期待するのはいかがなものでしょう。もちろん「性教育」の時間は必要ですが、所詮他人です。各先生方の性格もやる気もポテンシャルも違うでしょうから、何か問題が起きた時に、厳しく責任を追及されるとするならば、少し可哀想な気がします。

それよりもなによりも、やはり大切なのは学生の親でしょう。命がけで守ってやれるのは親しかいません。親には責任があります。それを学校のせいとか世の中のせいにしてはいけないと思うのです。

「中絶」を回避して「出産」した子どもや、父親のいない、父親が分らない子どもを、ものすごく可愛がるという例も枚挙に暇がないくらいあるものです。(鉄人の身近にもいます)

どんな形で妊娠したとしても、妊娠したならば、その生まれてくる子どもの幸せだけを願うのが、我々の責任だと思います。そのことが、ゆくゆくは中学生である母親の幸せにも繋がると思うからです。

仏陀は、「すべての生き物には、生きる権利があるのだ」ということを、極めて大切な教えとして説いています。

それは「どんな形で生を受けても、生きる権利がある」ことでもあります。

プロの先生に生意気な意見を申し上げて申し訳ありません。



投稿: 鉄人 | 2010年3月15日 (月) 00時24分

は??と思うくらいひどい。
悪気はないのかもしれないけど、その無邪気さがこわい。
考えてるようで何も考えていない。



ブログ主の河野美代子医師は、きちんとエントリたてて返信なさっている。


「今クリニックで起こっていること。 ⑥中絶は殺人?」(河野美代子のいろいろダイアリー)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-146c.html



それに対して、またおかしなコメントをしているのだ。
とっても既視感。



原理というけど、河野美代子医師の仰っているように、そのころは受精という概念もなかっただろうに。



「受精」した瞬間から「人間としての生きる権利」
を持っていることになるのです

受精しなかった精子に、人間としての生きる権利を与えてやれなくて申し訳ない、とは思ってるのか。思ってないだろう。



そう言うと、過剰な責任を押付けるな、とか、「オトコの本能は種まき」とか訳のわからない論理を持ち出すのだろうか。

現状、過剰な責任を押付けられてるのはやっぱり女性側なので、こういう人を見るとむかむかっとしてしまう。




ティッシュに向かって読経してろ、と言いたくなった。