福祉を真面目に考える方々について ― 「左派」の方々や、研究者の方々

前に書いたエントリで、さんざん「警察は賢くない」「非現実的」と書いたけれど、私が考慮に入れていなかったことがあるので、そのことを書こうと思う。

私が「賢くない」と書いたのは、ふつうの警察のこと。公安警察とかは正直、考えていなかった。

「非現実的」と書いたのは、違法物に関わっていないのに、「Santa Fe」のようなものが家にあるかどうか、アルバムに子どもの裸がうつっていないかで大騒ぎする一般人の方のこと。


「左派」といわれる政治的活動をしている方々のことは考えに入れていなかったです。
これは正直申し訳なかったと思います。

公安警察のことは、個人的に一人しか知らないけれど、確かに普通の警察とは違うと思う。
あまり知らないので詳しくは言えないけれど。


昔の、学生闘争時代とかその影響があった時代は、「左派」とされる方々が、睨まれていたというのは知っていたけれど、今でもそんなことが起きているとは、知りませんでした。
そのあたり、教えてもいいという方がいらしたら、教えられる範囲でいいので、教えていただけるとありがたいです。


わたし個人としては、自民党は、与党というだけであぐらをかいていて、今までろくなことをしてこなかったのだから、むしろ政権交代は積極的にしてほしいと思っている。
かといって、それだけを目当てにあおるようなことをして、ポイント稼ぎのようなことをされるのは、実際の被害者をないがしろにする行為だから、嫌だと思った。期待していただけに、単純には民主党を応援できなくなった。何人も自死を選ばれた方が出ていて、今も大きすぎる苦しみを背負っている方の存在を考えると、重みが違うのだから。


だけれど、自民党はダメだという点を考えると、現実的には、今後はやはり、民主党には頑張ってもらわなくてはと思う。くれぐれも自民党化しないように気をつけてもらいたいけれど。
(なぜか私を、自民党派と思っている方が多いので、それは違うと申し上げておきます。
 純潔主義とさえ思っている方の存在には驚いてしまう。純潔主義なんて何の役にも立たない。バカバカしいったら)


そして、左派とされる方々は、もっと評価されていいと思う。
弱者の視点で世の中を考えて追及していくと、一度は左派の良さに気付く人は多いと思う。

昔、とある問題(教育、福祉、労働などに関すること)を調べなくてはならなくなったのだけれど、当時、書籍ではろくな資料はなかった。情報が古すぎた。
ではどういうどころから資料を得たかというと、
今ほどネットが発達していなかったというのもあるだろうけれど、問題が表面化する何年も前から、国際比較や実際例など、地道に純粋に熱意をもって研究されていた、いわゆる「左派」とされるサイトだった。質、量ともに、他を圧倒的に凌駕していた。
政治に詳しくないが、自民党とか何やってるんだ、と思ったのはこれがきっかけだった。


なので、誤解をおそれずにいうと、私は、むしろこういった「左派」とされる方々に、建設的野党ということで頑張ってほしいと思っている。


そして、児童性虐待画像映像の件で、そういった研究をしている人はどうなるのかという問いを頂いたけれど、それはまた保護するべき人たちだと思う。

荒唐無稽と思われるかもしれないけれど、許可制とか登録制も必要なのではないだろうか。
劇薬等がそのようになっていることを考えると、違法なものという扱いでは同じだろう。一般人が簡単に手に入れられる状況が問題なのだから。

全く性的な意図がないにしろ、そういう意図がある悪意ある人々の存在を考えると、親を含め、大人たちはもっと意識を高めたほうがいいと思うのだ。

古き良き時代の感覚で(実際にはそうとされる時代にも性虐待は起きていたのだけれど)、子どもを裸で遊ばせていたりする保護者を見ると、どっきりする。
男の子であっても、女の子であっても、危険は危険だ。変なのに写真を撮られて、それこそ「ポルノ」として扱われる可能性を考えるとそんなことはできないはずだ。

こんな世の中になったこと自体が悲しいけれど、子どもたちは自分で身を守る術を持たないのだから、大人たちが守らなくて、どうする?と私は思うのだ。


※本館と同じ内容をこちらでもあげました。コメントは、こちらにお願いします。
 正直、別館を持ってよかったと思っています。
 あまりに“荒唐無稽”な方がいらっしゃいます。

※また、被害者を傷つけるようなあまりにひどい内容、理解しようという努力、対話する姿勢が感じられないコメントは、本館と同じくお断りさせていただきます。
※ご自分の問題や、ご自分の気持ちをぶつけるのはご遠慮ください。削除させていただくこともあります。

警察も検察も司法も、「正義の味方」じゃないという現状  1

告訴の件


 秋田地検刑事告訴した際の担当はI検察官だった。事情聴取のたびに同じことを何度も聞かれた。彼がなかなか調書を取ろうともしないのは、被害者がしびれをきらして告訴を取り下げるよう仕向けるためではなかったかと勘繰られても、仕方あるまい。


 あるとき、「KYさん(※引用者注/加害者のことである)に聞いたが何もやっていないと言っている。目撃者もいないし、証拠がないかぎりどうしようもないんだよ」と言われた。


「僕はあんたから金をもらってるわけじゃないし、あんたのためにこの仕事してるわけでもないんだよ」とも言われた。自分の給料がどこから出ているかまさか知らないわけではあるまい。


 検察官や警察官といった人たちが必ずしも正義感に基づいてそのような職種についているのではないことを、私たちはもっと知る必要がある。
 ときには男として、世の男たちの利益を守ることを優先したいときもあるのだろう。


 ほんの出来心だったかもしれない行為で罪に問われ、教授が社会的に抹殺されることになったら気の毒だ。
 自分だってどこかの女にそういうことを仕掛けるかもしれない。それを大げさに騒がれ刑事告訴までされたらたまったもんじゃない。女の訴えこそが社会の秩序を乱すものである。そんなふうに、彼は考えていたのではないか。


 私の代理人であるF弁護士に、事情聴取の際は被害者の気持ちを思いやり人道的にという趣旨の要請をしてもらえないか、あるいは事情聴取に立ち会ってくれないかと頼んでみたが聞き入れてもらえなかった。この案件に関しては僕だっていまいち気がすすまないんだ。もう勘弁してくれよ・・・彼の態度もまたそんなふうに受け取れて、私は悲しくなった。


 そのような感触は、職場の男性たち、当時支援の立場をとってくれていた男性たちにも共通しているように思えた。
そしてまさにこのような男性たちの主導によって社会が動かされていることに気づき、暗澹とした気分にさせられた。
 結局、嫌疑不十分で不起訴になった。被告側がそれを民事裁判の好材料として使ったのはいうまでもない。


「セクハラ神話はもういらない 秋田セクシュアルハラスメント裁判」 p85-86 原告の手記―秋田の地で春を待って
                                    (※強調は引用者による)


本館(http://manysided.blog85.fc2.com/)の方で、
「性犯罪に遭ったあと―被害者をうちのめす悲惨な現状」http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-25.html
でも書いたが、
秋田事件は「性被害にあった被害者はこう行動すべき」という“想像の産物の被害者像”を打ち砕いたという点で、大きな意味を持つ事件だ。



だが、民事裁判だ。刑事裁判ではない。
刑事裁判では、旧態依然のまま理不尽さが相変わらずまかり通っている。
捜査の過程である警察や検察の時点で、はねつけられ、事件として受理さえされないのだから。


民事裁判では、秋田事件を始めとして「想像の産物の被害者像」を打ち砕いた裁判が相次いだ後は、だいぶ意識が変わってきているが、それも裁判官次第で、かつ、原告側、つまり被害者が相当に頑張らないとダメだ。



犯罪行為なのに、どうして刑事裁判ではなく、民事裁判でしか裁かれないのかということを、私たちはもっと真剣に考える必要があるのではないだろうか。

秋田事件では、こうして、強制わいせつ罪としては、事実はあきらかなのに不起訴になり、刑事裁判で争うことはできなかった。そして、民事裁判で一審判決が敗訴した。
その後の控訴審では、東京の三人の女性弁護士による最強の弁護団と、全国からの多くの支援者を得て、「想像の産物の被害者像」を打ち砕くことができ、全面勝訴した。


だが、本来、刑事事件で裁かれるべきなのに、民事事件でしか裁けない現状は、残念ながら今も変わっていない。そして民事事件の場合、原告である被害者側に、想像を絶する負担がのしかかる。書面を100ページも200ページも作らないといけない。被害のことももちろん書かなくてはならない。孤独で、そして、あまりに辛い作業だ。
証人も集めなくてはならない。加害者側は異常としかいいようがない反論に出てくる。名誉毀損として逆告訴したりするのだから。


加害者側の言い分は、刑事も民事も一緒だ。曰く、
「恋愛関係だった」「合意の上」「相手も喜んでいた」「相手は性的に潔癖でない」「相手から誘ってきた」「被害者はおかしな性格だ」「嘘つきだ」「妄想だ」等々、呆れかえる。
まるで血がつながっているかのように、加害者たちは同じことを主張する。


この本には、検察官の心無い対応が書いてあるが(私も経験したが)、現実に起きているのは、これが特殊だということではないのが、非常に残念だ。あまりに多い。

まず最初の段階で関わる警察も、あまりにひどい。それは身をもって経験した私が重々承知だ。(色々と資料を選んでいる最中なので、また別途述べます)

裁判官も弁護士も、もちろんひどい。



前のエントリで「警察は賢くない」と書いたが、正直に言うと、書くかどうかかなり迷った。現在、警察と関わっている段階の被害者の方、これから相談するかどうか迷っている被害者の方のお気持ちを乱すようなことになるかもしれないと思ったからだ。

それでもあえて書いたのは、何か違和感を感じたり、嫌な思いをしても、自分を責める方向にいってほしくないという思いで書いた。賭けといっていいかもしれない。
お気持ちを乱すようなことをしてしまったら申し訳ないと心から思う。
だけど、現状がこうなのだ。


だから、助けてくれるはずの警察や検察や司法に違和感を持っても、嫌な思いをすることがあっても、これが普通で自分が変なのか、自分だけこういう対応をされるのか、というふうに、どうかご自分を責めないでほしい。
どういう事情であっても、危害を加えた、暴力を加えた、加害者が悪いのであって、被害に遭った方は、何も悪くないのだから。


警察も検察も司法も、変わらなくてはならないのだし、変わるべきなのだ。