性暴力被害者の行動及び心理状態について

こちらも資料として置いておきます。



秋田セクシュアルハラスメント 二審にて提出され、裁判所の判決に採用された、
フェミニストカウンセラー河野貴代美氏の鑑定意見書

「セクハラ神話はもういらない 秋田セクシュアルハラスメント裁判 」p189〜192より引用

3 性暴力被害者の行動及び心理状態について


(1) 日本では、性暴力被害者の行動及び心理状態に関して、これまで全く知られておらず、関心も払われてきませんでした。最近になってようやく被害者が自らを開示し、現実に何が行われたか、またどのような心理状態にいたかを少しずつ話し始めました。このような実態は、ほとんど当事者にしかわからず、体験そのものの特殊性を考えた時、これは当然のことと思えます。前記1で、被害者の回復にフェミニズムの視点が必要だと述べたのは、自分を責める傾向を持つ被害者に、フェミニズムの視点に立つことによって「あなたが悪いのではない」というメッセージを送ることができるからです。それゆえ、彼女等もフェミニストカウンセラーに対して自らを語り始めたのでした。通底する共通性(後述)はあるものの、行動や心理状態は、事件の内容、その時の状況、個人性によってかなりの違いを見せます。にもかかわらず、被害者の反応(たとえば本判決にいうところの「大声を上げて逃げる」)等については、きわめて通俗的なワンパターンの考え方が形成され、それらがあたかも普遍的な真実のように流通しております。これはまさしく非当事者が作り上げた「神話」です。


(2) まず、被害にあった時の反応は、一言で言えば「何が起きているかわからない」という言葉に集約されます。カウンセラーとして私が聞いてきた被害者の多くもこのように述べています。本件の控訴人Aは「もし、『これからセクハラしますよ。』と前もって言われたなら、NOと言ったでしょう。でも、」いきなり全く予期しない事をしかけられるわけだから、どう反応していいかわからない」と述べています。この非常に単純な言説に、あまりにも単純であるがゆえの見落とされがちな真実が含まれています。その他被害者は、「びっくりする」「オロオロドキドキする」「血が逆流する」「金縛りにあったような」「頭が真っ白になり何がなんだかわからない」などと述べております。このような心理は予期せぬ事態にあった時の一般的な反応として十分に説得力を持っています。

 「何が起きているかわからない」時、人はすぐに次の行動には移れないのです。パッと反応する(例えば「ノー」といったり、相手を押し戻したりする)ことができるという予測は、人が驚愕した時の反応としてまことに不適切だと言わざるをえません。もちろんなかには、反抗や反発ないしは何とか止めさせるためのあらゆる行為をする女性もいるでしょう。しかし、このような反抗や反発をする女性がいるという現実をすべての女性の現実に普遍化するのは誤りで、ましてやこれをもって性暴力(セクシュアル・ハラスメント)の存在そのものを否定するのは、女性の現実を全く無視するものです。


(3) 性暴力の被害にあった女性がどのように行動するか、アメリカの研究を紹介しましょう。

 以下では、強姦の被害者の対処行動について述べることとします。
 アメリカの研究者(A.W.Bugess, L.L.Holmstrom, Coping Behavior of the Rape Victim, Am J Psychiatry 133:4)は、強姦被害者の対処行動を、?強姦の脅迫期、?強姦期、?強姦直後期、の三期に分け、92人の強姦の被害者の対処行動を分析しています。
 ?期に関する被害者の対処行動は、何の戦略も用いなかった被害者34人、何らかの戦略を用いた被害者58人でした。
 戦略を用いなかった被害者のうち二人は身体的麻痺状態、12人は心理的麻痺状態でした。
 戦略を用いた被害者の戦略を分析すると(複数回答)、認識的戦略にとどまった人18人、言語的戦略を用いた人57人、身体的抵抗をした人21人でした。
 認識的戦略とは、その状況に対してとることの可能な選択肢について頭の中で考えをめぐらせ、決定することです。例えば、どうやって攻撃者の手中から、あるいは車や部屋の中から、安全に逃れることができるかについて、考えをめぐらせたり、パニック状態になった男がさらに加害を加えてくることを恐れて、どうやって落ち着かせようかと考えることです。
 言語的戦略とは、その状況から逃れるために、加害者と「どこの学校に行っているの?」等、会話を続けようとしたり、加害者の気持ちを変えるための説得として、「私は結婚しているのよ」と言ってみたり、「主人がじき戻って来るわ」と、加害者を脅そうとしたり、お世辞を使って「あなたは素敵な男だわ、あなたならセックスのためにこんなことをする必要なんてないと思う」と言ったり、言語上攻撃的に「触らないで」と言ったりする等です。
 身体的抵抗とは、その状況から逃れると、あるいは攻撃者を脅かすことによって、強姦を防ごうと直接的な行動をすること(たとえば、ガラスの破片で男を刺そうとする、アパートの外かへ男を押し出そうとする等)です。
 ?期には認識的戦略28人、感情的反応25人(泣く17人、怒り8人)、言語的戦略23人(金切り声を上げる14人、話をする9人)、身体的行動23人、心理的防衛17人、生理的反応(失神、嘔吐など)10人、戦略なし1人、不明8人(総数90人)でした。
 認識的戦略では被害者はしばしば現実の出来事から精神を切り離し、事態に関係のない別な考えに精神的注意を集中させることによって対処し、生き延びることだけに焦点をあてます。加害者の暴力をエスカレートさせないために、被害者が特に精神的に自制して平静さを保つことは一つの戦略であった、とこの研究者は解説しています。
 言語的戦略には、金切り声を上げるというものと、加害者と話をするというものがあります。
 身体的防衛は、格闘する等ですが、被害者が抗い抵抗することがまさに加害者の望むところであり、それによって加害者がいっそう、興奮する場合のあることを知る必要があります。心理的防衛とは、耐え難い感情を遮断するために、認知領野を閉ざすことです。たとえば、ある女性は「こんなことが私に起こっているはずがない」と強姦されていることを否認し、ある女性は「私は本物の自分ではない」と分裂感情を経験しています。
 以上は、強姦の場合についての分析ですが、強制猥褻等、同じ性的侵害行為を受けた被害者の対処行動も、程度の差こそあれ、同様に考えることができます。


(4) ところで、なぜ、被害の実態に反するにもかかわらず、前述のようなワンパターンの「神話的」反応が流通してしまっているのでしょうか。それは、女性の存在が男性によって規定されてきたという事実に尽きると思います。ボーボワールは、『第二の性』(決定版『第二の性』新潮社)で、「女とは何か」という根源的な問いをたてそれに明確に「女とは他者にされたもの」と答えています。つまり、男たちから、社会から女は「こうだ」と言われ、女性もそれを受け入れてきた長い歴史があります。しかし、これが、本来の自己=女性の現実や実感から遠いイデオロギーになってしまっていることに女性たちが気づき「自分とは誰?何者?」と問い始めたのが1960年代後半のフェミニズムの運動です。女性たちは、他者に規定されない、異なった欲求、感情、行動パターンを持つ種々の女性の存在を主張しております。
 女性を規定するなかでも精神分析創始者フロイトの影響は大きいと言わざるをえません。彼はギリシャ語の子宮を意味する「ヒステリー」という症状概念を作り、困難な事態に直面すると突然失神する女性を研究対象にしてきました。フロイトは(と共に社会も)「ヒステリー発作」に関して二重のメッセージを送っています。一つは、状態像は「病気である」というもの。もう一つは、にもかかわらず、ヒステリーや心気症(ヒコポンデリー)は「女らしさ」というパーソナリティに十分に組み込まれていて、場合や事情によって、突然倒れるのは、より「女らしい」とされるという事実です。まことに女性イメージは勝手な憶測や定義のなかで浮遊し、たくさんの「神話」がまかり通ってきました。





セクハラ神話はもういらない―秋田セクシュアルハラスメント裁判 女たちのチャレンジセクハラ神話はもういらない―秋田セクシュアルハラスメント裁判 女たちのチャレンジ
(2000/04)
秋田セクシュアルハラスメント裁判Aさんを支える会

商品詳細を見る





【2011.7.18追記】

平成9年10月〜10年1月末までに全国の警察署で取り扱った強姦及び強制わいせつ事件について、科学警察研究所の防犯少年部付主任研究員の内山絢子が行った調査


被害者の被害時の対処行動では、「大声で助けを求めた」41.7%、「付近の民家や店に駆け込む」6.4%「やめてくれと加害者に頼む」51.5%、「何もできなかった」25.5%


(「性犯罪の被害者の被害実態と加害者の社会的背景」内山絢子 『警察時報』No.11、2000 年)