言葉にできない孤独

私には、被害そのものの記憶がない。


いつなくなったのかはわからない。


フラッシュバック注意、と書かれてあっても、よく意味がわからなかったくらい、
いつもいつも被害が頭の中で再演されているような状態だったりもした。
でもそれさえも、断片的ではあった。


被害直後、警察に行ったとき。そのときは記憶はあった。
起きたことをそのまま話した。それは間違いない。


だけど。検察に呼ばれるまで少し間があったのだけれど。
その短い日数の間に、どんどん記憶が薄らいでいった。
忘れるというよりも、脳の中に膜がかかっているような感覚だった。
そんなことは初めてで。
そんな自分に混乱した。
あれだけのことを、どうして、忘れてしまうのだろう、と。
こんなに短い日数で記憶が薄らぐということは、経験したことがなかった。


嘘だと思われたくない。
どうなるのかまったくわからないまま、とにかく必死だった。
出てきたら殺される。
ちゃんと話さなくては。
その一心だった。


必死で忘れないようにすると、どうしても思い出さざるを得ない。
常に考えていなくてはならない。
そうすると必然的に、生活に支障が出る。まともに立っていられない。
考えないようにしないと生活できない。



そうやって必死で暮らしていたのだけれど、
私の心の中でそういった葛藤や苦しみがあったことは、周囲には言えなかった。
直後に連絡をした、当時の恋人しか被害のことは知らなかった。
自宅に戻ることができず、そのまま居候することになった。


友人には知らせられなかった。
付きまとわれている間のことも、
友人には、あまりのことに話せなかったし、話すエネルギーさえなかった。
へたに何とかしようとしてくれて、よりひどいことになるのを恐れた。
誰にでも簡単に危害を加えることを何とも思わない相手だったから。



なにより、つきまとわれている間のおかしな状況を、
うまく話せる自信がなかったし、言葉にできないほど、無力感でいっぱいだった。
早く殺して欲しいと思ったくらいだった。ずっとナイフをのどにあてられているような感じ。
ようやくあきらめてくれたかと思ったとき、被害に遭った。



恋人には、支えてくれているのに申し訳ないと思ったし、迷惑をかけてはいけないと思った。
何が起きたか知っている恋人からも、
そして何も知らない周囲からも、一見、普通過ぎるほど普通に暮らしているように思えただろう。



でも実は、後ろからの足音というのがとても怖くて、
自分の後ろに誰かがいる、というのがとても怖くて。
たとえば電車を降りてからも、すぐには動けなかった。
みんなが階段をのぼったりおりたりした一番最後に、
手すりに体をくっつけるようにして、まるでカに歩きのように、
横向きに階段を上ったり下りたりしていた。
後ろがとても怖くて。


でも、このことは誰にも言えなかった。

誰かと一緒にいるときはそんなことはなかったので、誰も知る機会がなかった。
これが一番、日常生活を制限させる後遺症だった。



他にも。
ふとした瞬間に、なにもかもが変わってしまった、と実感してしまうことがあった。
日常のささいなことがきっかけで、それはよくあった。
あまりにささいなことすぎて、それが逆にとても悲しかった。
たとえば、以前は喜んでいたことに何の反応もできなくなったとき。
好きな食べ物、好きな場所、好きなこと。
・・・そういったことにだんだんと無反応になっていった。
時間が経つにつれ、どんどん無気力になり、どんどん何もできなくなった。
ひどい鬱状態と、PTSDに悩まされた。



たちの悪いことに、被害後すぐ、というわけではなかったので、よけいに周囲の無理解を招いた。
被害後すぐというのは逆に、なぜか必死でそれまでの生活と同じことをしようとしていた。



もういいだろう、と言われたときには、心底驚いた。
もう終りにしたいね、疲れたね。
憔悴しきった顔で言われた。



告訴を取り下げろ、という意味だった。



それを聞いたとき、どれだけ、自分におこったことが周囲を苦しめているのか、わかった。
そして、自分が必死に普通に暮らそうとしていることで、
どれだけ苦しんでいるのかが理解されていないのも痛感した。
この人さえも、「大げさにさわいで」という感覚でいるのか、とさえ思い、絶望した。



でも、どうしても告訴取り下げはできなかった。
「ふつうにかんがえて、もう何もしないよ。今度なにかしたら、おわりなんだから」
そう言われたけれど。



その「ふつう」が通用しない相手なのだから、こういうことになったのだ。
その異常さ、怖さを知り尽くしている私には、納得できなかった。
私のふだんいる場所も、ふだんどこに行っているのかも把握されている。
実家も、家族も、友人も。



訴えたくて訴えたんじゃない。今ならそういえるだろう。
終りになんかならない。また恐怖の始まりだと、言えただろうか。
だけど。当時の私はあまりに若く、自分の気持ちを表現する言葉を持たなかった。
あまりに混乱し傷ついていた。



こんなに苦しいのに。こんなに傷ついているのに。


そう言えたら何かが変わっていただろうか。
小さい頃から我慢をするのが当たり前だった私には、
自分のつらさを主張するのはとんでもなくワガママなことと思えた。
自分が我慢することで丸く収まるのなら、と、我慢し続けていた生活だった。
それを破れたのは、ほんとうに、ここ2.3年だ。



結局、一緒にいるのがつらすぎて、その恋人とは別れた。
私から切り出した。
ようやく最後に、無神経な発言をいっぱいした、と途切れ途切れに伝えた。
それが精一杯だった。
そのとき初めて、私がどれだけ我慢していたかを彼も気付いたようだった。
はっとした顔で、ごめん、と言われたけれど、
もう何もかもが遅すぎた。



今ならわかる。
あのことがなくても、きっといつかはそうなる運命だったのだと。
あまりに価値観が違いすぎた。
大事にするものが違いすぎた。
でも、当時の私には、彼しか助けてくれる人はいなかった。
頼りすぎていたと思う。
だけど彼はよく、「肝心なことは頼らないね」と私に言っていた。
すれ違いが大きかった。



おたがい未熟で、おたがい伝えるべきことを伝えないでいた。
相手を尊重しながらも自分の気持ちを伝える、ということができなかった。
重要なことに、きちんと向き合って話しあう、ということができなかった。
話題にするのは怖かった。
口にすることさえ苦痛だった。
彼も同じだっただろう。



ここ最近、ようやく、自分の過去の経験に真剣に向き合っているけれど。
ふしぎと、断片的にしかやはり記憶がない。


まず、被害そのものの記憶はない。
イメージのようなものしかない。
それも、しかも、まるで幽体離脱のように、
私の目は私の顔の中にはなく、部屋の天井にうきあがって私を見下ろしている。



そして、被害前後の記憶も曖昧だ。
ただ、何かいやだ、と感じるものには、かなり関係しているものが多いとわかった。


そして、二次被害、三次被害と続いた地獄のような日々。
ほんとうに、肝心なところが記憶がない。
かなり混乱した記憶となっている。



あまりに辛すぎる記憶は抑圧される。
だが脳の中から消滅したわけではないので、
なんらかのきっかけ(思い出させるような状況、よく例えられるのが音や匂い等)で、
記憶のふたがあきそうになり、苦しくなる。
そういう説明を受けた。




当時は誰もそんなことを教えてくれなかった。
その知識があれば、どれだけ楽になっただろうか。


私だけが異常なのか、頭がおかしくなったのかと悩んだ。



でも、多くの被害者の方の話を聞いて、
被害そのものの記憶がないのも、
まるで幽体離脱のような状態なのも、
ふつうだとわかった。



人間の心ってすごいね、と変に感心して笑いあった。
これは同じ被害に遭った者同士だからできる会話。
ふつうならわかってもらえないこと。
それを安心して話せる相手。


たくさんのつながりが、救いとなることもある。


そういうつながりを、たくさん見つけていきたい。





私がとても好きな本。

リンダ・ハリディ=サムナー著 「リンダの祈り」

「リンダの祈り」 p1〜3 「まえがき」より引用


 この23年間、カナダで性虐待の専門家として、被害者が加害者を告訴した際の法廷支援を中心に仕事をしてきました。これまでに支援した人の数は5000人を超えます。こうした仕事をはじめた理由は私も被害者の一人だからです。


 私の人生は長いあいだ危機と混乱の連続でした。6歳から16歳までの10年間、父から性虐待を受けました。祖父にも性的な接触をされています。自暴自棄におちいって14歳で売春に走り、少年院に送られたこともあります。28歳までに、何人もの男に強姦されました。そして、心の痛みを忘れるために何年間も、精神安定剤に依存し、お酒に溺れ、不倫を重ね、自殺も図りました。


 このような経験をしてきた私が本書を出版するには、理由があります。どのような虐待だろうと、虐待を受けた側に責任はないということを伝えたかったのです。虐待を受けた多くの人は、すべての責任は自分にあると感じて、無力感でいっぱいになっています。けれども、あなたに責任はないのです。


 同様に、虐待を受けた多くの人は、自分は一人ぼっちだと感じて、孤独におちいっています。しかし、決してあなたは一人ぼっちではありません。


 たとえ激しい心の痛みを経験したとしても、それを癒して乗り越えることができる、人生は自分の力で生きていくことができる、希望の光はある、と伝えたかったのです。本書を通じて、私の得てきた経験と知識をみなさんと分かちあいたいと思います。


 また、被害者だけでなく、被害者の家族や友人、深い心の傷を負った人をサポートする人たちの、性虐待被害者への理解と共感をもたらす助けとなることを望んでいます。そして、性虐待を私たち社会の問題として、多くの人たちに伝えられることを強く願っています。(中略)


 よい思い出も、思いだしたくないことも、すべての人生経験が、今の自分を築き上げているのです。それらの経験とどう向きあうかは、私たち一人ひとりにかかっています。


 本書が、あなたの人生を創造的に再構築できるツールとなることを望んでいます。どのようなツールでも使い方は一人ひとりにゆだねられます。知識と経験は力です。ここに書かれているメッセージのすべては、私から日本のみなさんへのプレゼントです。


 あなたの心の暗闇に光が射しこむことを、心から祈っています。
                                   
                                     リンダ・ハリディ=サムナー

 

リンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うためにリンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うために
(2003/06)
リンダ ハリディ=サムナーLinda Halliday‐Sumner

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大好きな本です。この本と、リンダさんと出会えたこと、感謝しています。