「自衛」論は「被害に遭わないように」しか考えていないのが問題
夜道一人歩きにこだわる「自衛」は、もう既にしている、と何度も言っている。
そして、自衛を放棄するなんて誰も言っていない。
それなのに何故か、男性蔑視に結び付けて考えている人がいる。
ケモノと言っているのは、私たちではない。
なぜか被害妄想的に捉えているようだけれど。
そして、個人のブログでケモノという表現が出たことに怒りを抑えられないようだけれど、
女性は、あらゆる媒体、あらゆる表現で、人間扱いされていない現実は、全く考慮するつもりはないらしい。
そこに、彼らが許せないもの、守りたいものが透けて見えるように思う。
夜道一人歩きではなく、本当の現実、性犯罪の実態を示しても、それに対する反応はしない。
タクシーの運転手に乗客女性が強制わいせつをされた事件では、どう自衛するのか訊いても反応はなかった。
答える答えないは自由だが、自分の都合の悪いところには答えないというつもりなのかと邪推してしまう。邪推ならいいのだが他にも何度か彼の書くコメントに、論理矛盾を指摘したのだ。
そして、長くなる質問なので、エントリをたてたのだが、
「一回だけ答える」と、なんだか恩着せがましい表現だった。
本気で対話する、議論する気はないのだと感じてしまう人がいても仕方なかろう。
そして、その答えも抽象的で具体性に欠け、なによりまたもや非現実的だった。
その矛盾を冷静に指摘したつもりだったが、それについても無視している。
逃げてると思われても仕方がない。
逃げるのは自由だが、なぜ答えられないのか、それは自分でもわかっているのではないか。
単に思いつきで言ってみたものの、ひっこみがつかなくなり、それを認められないのだろうと。
違ったのなら申し訳ないが。
他にも、仰っているところが矛盾だらけ、論理破綻しているので、ときおりそれを指摘しつつも、相変わらず無視を続け、どんどんおかしなことを仰っているので、まあそろそろ潮時かとは思いつつ、様子を見ていたのだ。
本当に、世の中をよくしたいと思って主張しているのであれば、
「自衛」で防げなかった場合のことも考えるのではないかと私は思っている。
そここそがポイントだと思うから。
ところが、誰一人として、実際に被害に遭ったとき、遭った後のことを考えていない。
日本には性暴力専門機関がないという大きな現実があるのだ。(そのとき私が示した記事でリンク先を読んでいればわかるはず)
被害後かけこめるところがない、緊急避妊など必要なケアさえ告訴の意思を明確にしないと受けられない。
どうしてそうなっているのかをよく考えてほしい。
警察も「自衛」だけは強調する。
参考:「何の“芽”を摘むのだ?」
「防犯を呼びかけるのが警察の仕事なのだろうか」
だが被害に遭った場合を保証しない。
なにより、被害者を、人間扱いしない。社会の安全を守るために犯罪者を捕まえるという必要なことをしない。
恥ずかしいから告訴するなとさえ言う。事件として扱わなかったりもする。
性犯罪に遭った者は「恥ずかしい」存在だ、という意識なのだ。
だから被害に遭った場合のことを考えない。思考停止で、自分たちとは切り離して考える。被害に遭った場合?知らないよ、という言説の裏には、「自衛」をしなかったからだという被害者への責任転嫁の考えが全くないとは思えないのだ。自分は違うというのならば、ひろく世間を見渡して現実を見てほしい。
それこそが差別でそれが問題の根底なのだ。
自分がするわけでもないのに、先生ぶって「自衛」を教えたがる方々もそうだ。被害後の被害者のことに誰が考えていた人はいただろうか?
そういうつもりはなかったにしても、結果として「自衛」論は被害者を貶める風潮を強固していく。そして、よけいに犯罪者をのさばらせていく。
だから悪循環なのだ。
ひたすら「こうすれば逃げられるはず」と、延々と非現実的であったり既に誰もが行っている「自衛」を説き続ける。
一人でも届けば、と言っているが、個人のブログで言ったところで、「届けたい人」に届く可能性は低い。
マーケティング的に考えてもそうだろう。
まず、本気で届けたいのなら、対象、ターゲットとしている女性(本当は男性も被害に遭うのだが、それさえもスルーだものな)が言っていることに耳を傾けないと話が進まないと思うのだが。まともな発想が出てくるわけがないのだ。
ところが指摘しても指摘しても聞く耳を持たない。私もだが、私以外の実際に被害に遭った人の話でさえも。
聞かないというのは、どうしてでしょうね?
その他の文面も見ているとどうしても、本気で考えているようには見えないのだ。
■はてこはだいたい家にいる■
ボクが考えた「自衛」の方法は社会を変えなくてもあなたの考えた自衛は社会を変えるよ
で、ブログ主様が書かれたものは、「自衛」を語っていた人たちと違う。
実際に被害に遭ったらどうするか、という視点で書かれている。
ブログ主様はよくおわかりのようだけれど、被害は一瞬では終わらない。
その後ずっと続くのだから、それこそ自分の身を守る必要がある。
これは「被害に遭ったらどうするか」なので、それを考えずに「どうすれば被害に遭わないか」を論じてきた今までの「自衛」論を語る人たちとは違う位置づけになる。
それなのに、矛盾だらけのことを主張している人が、「それが言いたかったんだよ」とここぞとばかりに賛同しているのに違和感を感じる。
ブログ主様はもしかしたら、なんとかとりなそうというおつもりで発言されたのかもしれないけれど、
だけど知識不足だったり口が悪かったり言葉足らずだったりするけれど、
「おい、そりゃあ酷い話だな! どうしたら身を守れるか考えようぜ」
と誠意と浅知恵で百万回よそで聞いたようなとんちんかんなアイデアを出す人たちもいる。
この種の経験の浅い人を、遠くで一席ぶちたいだけの人と一緒にはできないと思うんだよね。
一緒にできないのはわかっている。
そして、その見分け方が私とは違うのかもしれない。
私には、少なくとも彼は、ブログ主様の言葉を借りれば「遠くで一席ぶちたい人」に思えてしまうので。
男性蔑視だ、男に責任をなすりつけるな、というのが本音のようだから。
※ちなみに、性被害は派出所には行かない方がいい、という情報を私は最近知ったのだが、そのあたりはどうなのかわからない。派出所や交番もどんどん畳まれているし、無人になっていることも多い。
そのあたりのお役立ち情報は、確かに重要だと思うので書きたい。だが思い出すとどうしても苦しくなるので余裕のあるときになる。今とは大きく事情が変わっている点もあるので、確認しなければいけないこともある。
わざわざ年の瀬にこういうエントリを書くのも本当は嫌だったのだが、
どうにもこうにもすっきりしないので、書いた。
それでは皆さま、よいお年を。