映画の感想『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』


たまには映画の感想などを。


ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』を見た。


1950年代に活躍した、ジョニー・キャッシュという実際のミュージシャンの伝記映画らしい。
 

幼いころ慕っていた兄を失い、父親にそのときに言われた言葉から逃れられない主人公。
ようはAC(アダルト・チャイルド)なわけだけれど、そういった概念もない時代だ。


父に認められたくて、ライブを観にきている父の様子、ライブをおわったあとの父の様子に、本人は気付かなくとも非常に気にしているのだけれど、いつも思ったような反応は得られない。


だんだんとドラッグにおぼれていき、妻子にも見捨てられる。
妻とは最初からうまくいかなさそうな徴候が出ていたけれど、そういう女性を選んだ自分に疑問を抱くことはない。
だけれど私が妻の立場だったらやっぱり不満は持っただろう。自分勝手だもの。


なにかがうまくいかない、なにかが満たされない、そういう思いで、ドラッグにおぼれていったのだろう。
そしてどんどん自分の人生をだめにしていく。そしてどうしてよいかわからず人に迷惑をかけまくる。
それは彼の幼いころの深い喪失感と悲しみ傷つきからきているSOSサインなのだけれど。


彼が愛してしまう、あこがれている女性のジューン(リース・ウィザースプーン)に、かまってほしくて意地悪をいったりばかなことをしたりなど、幼稚園児か、と思うくらいのダメダメっぷりだ。
話の筋が見えなくて途中はちょっとあきてしまったけれど、あまりのダメダメっぷりに、同居人とともに思わずひきこまれてしまった。


愛してほしい、認めてほしい、支えてほしい、それは彼の幼少期の経験からきているのだけれど、
彼がようやく立ち直ろうとしても、彼なりにがんばろうとしていても、認めない原家族。


ジューン(リース・ウィザースプーン)は、離婚等の経験への、とても厳しく冷たい当時の世間の目に反撃はしなくても傷ついてはいる。けれど強い。自分をしっかりと持っている。
その強さと優しさにあこがれ、主人公はまるで母親を求めるようにジューンを求める。

ちなみに現代日本の私の観測範囲内でも、バツイチ子持ちの女性にあこがれる男性はどこか似た感じの人が多い。
(注意:それが悪いといっているわけではありません。)


プロポーズの場所も方法も、いいかげんにしろよ、とこちらもいいたくなるようなことばかりしでかして、
最後のプロポーズでも、こんなんだめだろ、と思ったけれど、ここは映画というべきなのか。


しかし、ダメな男とそれを支える女性というのがある意味ものすごく丁寧に描いてあるというべきなのかもしれない。


なんでこれでうまくいくのか?という疑問をもち、かつ、にこにこにやにやしている同居人にすっきりしないながらも、こういう夫婦を山ほど知っている身としては、結局こういうものなのかなあとも思ったりもした。うちにもこういう要素が全くないとはいえないけれど、私もだめだめなところがそうとうおおいのでそういうのもなんだかおこがましいくらいだ。
 

ジューンはほんとうにとっても素敵な女性だ。
実は男性の満足度が高いのではないか。と恋愛系の映画はあまり好まないのに上機嫌になった同居人を見ていると思った。私に不満がある証拠かもしれないが深く考えるのはやめておこう。
ただ、ダメ男が大嫌いな人はむかむかする映画なのではないかと思った。
そんなものよ、と思う人や、こういう人大好きと思う人はどうなんだろう。たいへん興味深いのできいてみたい。