虐待がなくなるかどうかは無関係

どうやら誤解されているようなので補足を。


単純所持が問題となっているのは、違法な性虐待の画像映像が、実際に危害を加えた人が逮捕されたとしても、出回り続けて、しかもそのことへの対処が全くできていないからだ。


ネット社会で、逮捕されれば解決するという単純な問題ではなくなっていることを、もっと真剣に考えないといけないのではと思う。
海外と同じにしろという「簡単な」感覚で言っているのではない。ネットという手段で世界がつながっているから、他国の取り組みを日本が邪魔している、それをどうにかしろという他国の声が無視できないほどになってきたということなのだから。

ネットがこれだけ普及しても実感としては「世界とつながっている」という感覚が乏しい人が多いようだけれど、私が言っている「国内だけの問題ではない」というのは、そういうことだ。
日本だけ違うことをしているのが許される問題ではないし、それが許されない時代になったということだ。


売ったり買ったりする人も処罰の対象にするとか、それだけでもカバーできない。そういう嗜好を持っている人は、仲間同士で、金品等のやりとりなく、交換したり共有したりするからだ。


また、単純所持を規制する=性虐待がなくなる、ということは私は考えていない。それほど単純に考えているつもりはない。単純所持を規制するだけでカバーできるわけない。


そういう意味では、家庭内でおきている、全ての虐待のことも、最近報道が相次いだように、全く対応できていない。
さらに、肉体暴力等がなく性虐待のみ行われている場合には、性虐待は把握しづらいという状況がある。それに何より適切なケアが受けられない。(子どもだけじゃなくて、大人も性被害に遭うと適切なケアが受けられないし、法律も不十分だ。このことはまた別途述べるけれど)http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090717ddm005070054000c.html


そして、この記事でも少し触れられているけれど、性虐待は、家庭内だけで起きるわけではない。加害者が身近な知人であったり、もしくは全く知らない第三者であることも多い。


ただ、いつまでも出回り続けている限り、被害者にとっては、被害事実が「過去のこと」にならない。つまり、実質的に被害がいつまでも再現されていることと等しいと思う。
そして、そういう違法な性虐待画像映像が出回り続けている限り、加害者や加害者予備軍にとっては全く抑止力にならない。さらにそういうものを自分でも作ろうということへ発展しかねない、という懸念を抱いてしまう。


実際に、この関連で本館の方に最初に書いたエントリ(http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-26.html)の中でも触れたけれど、あの悪名高い、性虐待映像は今でも出回り続けている。この事件では、加害者(危害を加えた者だけでなく製造販売に関わった者も含める)はとっくに逮捕されているにも関わらず、だ。


ここまで大規模ではなくても、同じような事件は、いくらでもある。加害者が逮捕された後も、同じように出回り続けている。


私が聞いたのがどの事件なのかは言うつもりはないけれど、その声を多少なりとも身近で聞いていた私には、無視できない。
実際に被害に遭った方は、匿名でさえ、声をあげることはできないのだから。だってどの事件なのか等言うと、それを確認するためにさらに多くの人に見られる、さらに個人での所持につながってしまうという恐怖があるのだから。
だから本当は、いくら有名で悪名高いとはいえ、直接の関係はないとはいえ、何度も実際の事件のことを書きたくない。


それに、こうした事件は被害者から辿らないと逮捕につながりにくいという事実がある。被害児童の特定への画像処理班を作るとかいう報道があったけれど、被害者にとっては嬉しくないだろう。だけど、現在、そういう方向からしか逮捕にもつなげられないのは事実なのだ。
しかも、報道(http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090627ddn003010025000c.html?link_id=RSH03)の中では、

“日本では警察庁が今月、児童ポルノ根絶への重点プログラムを公表。画像から被害児童を特定し、摘発や保護につなげる「画像分析班」設置などが柱だが、ある幹部は「本気度をアピールするのが狙い」と明かす。”とある。


こういうふうに、何かが社会問題化して(本当はずっと前から言われてたのだけれど)、大きく動き出すときには必ず、警察の「アピール」が始まる。警察は何してるんだということになるから動くのだろうけど、本気度を示すのではなくて、本気で取り組んでくれ、と言いたいところだ。だけど、そういうことを言っても、警察も検察も司法も「そうしたいのはやまやまだけれど現在の法律では対応できない」というのが現状だ。それはこの児童性虐待の件だけではなく感じる。



あと、報道では与党案も民主党案も修正協議して所持禁止には同意した(http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090711k0000m010133000c.html)、とあったけど、当初案と変わってきているし、廃案、解散ということで、次期国会ではどうなるかわからないということになった。なので民主党自民党案をどっちもどっちと言った私に、そのへんを詳しく追及してもあまり意味がないと思うのだけれど。一気に説明するのは難しい。私にとっては常識でも、かなり噛み砕かないといけないほど、性被害の実態は知られていないのだから。それを知ってもらえると、理解していただけると思う。


で、児童性虐待の件については、むしろ次期国会でどうなるかは選挙でどう出てくるかを見極めないと意味がないのではと個人的には思う。


おかしな方向に議論がいったのは、宮沢りえの「Santa Fe」が出てきたからだろう。実際の性虐待映像画像ではなく、そういうものを持ち出したことで、変な方向によけい議論が加速することになった。

私などよりずっと、こちらの方の方が的確に表現されている。


キリンが逆立ちしたピアス ■[性][司法]児ポ法おぼえがき その3
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090719/1247965618

確かに政治戦略としては、「おしゃれでちょっと芸術っぽくて、みんなが熱狂したあの思い出のヌード写真集」である「Santa Fe」を持ち出したのは成功であろう。だが、この話題によって児ポ法の議論は「クスリと笑える下ネタ」として扱われやすくなっている。

確かに「Santa Fe」について議論するには、さして性的な話題を問題にしなくてよいから、敷居は高くないだろう。「Santa Fe」はまさに性的マジョリティのためのポルノであり、「<私たち>のポルノ」であるからだ。この主張への共感には「あんな小児性愛者どもの児童ポルノと、<私たち>のポルノを一緒にされてたまるか」という気持ちが含まれているのではないか。こうして、成人ヘテロ男性が、小児性愛者を<私たち>のカテゴリーから排除する効果を持ってしまう。

なぜ、児童が性虐待をされている写真や動画を取り上げて「この表現を規制するのはよくない」と主張しないのだろうか?おそらく、それでは支持者*1の共感を得られないと考えたからであろう。1の主張をする人たちは、「児童ポルノと成人ポルノの線引きはできない」という言説を二重規範として使っているのではないか。すなわち、「Santa Fe」を選んでいる時点で、社会通念上の児童ポルノと成人ポルノの線引きを見極め利益を得ているにも関わらず、「線引きはできない」という主張により児ポ法に反対しているのである。私はこの点において不信がある。


※引用者注 // 1の主張をする人たち= 筆者(「キリンが逆立ちしたピアス」のブログ主様)が、「児ポ法反対派を分類」した「表現の自由派」のこと。


廃案前にどういう議論がなされたのか、このへんが詳しく報道されればよいけれど、なんだかうやむやのまま廃案、解散ということもあって余計に多くの関心を集めて、不安が募っていると思うけれど。

―と思ったら、念のため最新情報を見てみると出てきた。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090720ddm012040023000c.html



※TBの送り方がわかりません。引用を区別するやり方もよくわかりません。すみません試行錯誤中です。