裁判員裁判の性犯罪、審理が終わる

全国初の、性犯罪の裁判員裁判が、判決が言い渡されました。


検察側の求刑通り、懲役15年。
これを長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれでしょう。
ですが、性犯罪は、あまりに大きなダメージを受け、失うものが多く、経済的にも困難を極めるのに対し、刑は軽すぎます。
そういう意味では、司法関係者のおかしな感覚に一石を投じることができたのではないかと思います。ですがそのぶん、被害者の方に多大な負担がかかっていることを忘れてはならないと思いますし、お辛い気持ちを考えると、私も苦しくなります。


裁判員の方が、記者会見で、こう仰っていました。http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY200909040448.htmlより

法廷では、被告の弁護人が過去の強盗強姦事件でどの程度の刑が言い渡されてきたかを調べた結果を示したのを見て「性犯罪に対して軽い判断がされてきたんだな」と感じたという。



例えば私に危害を加えた加害者は、既に同様の事件を何件も起こしていました。いずれも示談、告訴取り下げだったようです。その他にも窃盗、傷害、器物破損、その他沢山の犯罪行為をしていました。
私に危害を加えた事件では、単なる「強姦」という扱いでした。私は怪我をしていましたが、「そのくらいの怪我では致傷はつかない」とはっきり言われました。そのくらい、という割りに怪我の内容を全く把握しようともしていなかったので、歩ければ問題なしという感覚だったのでしょう。当時は今と比べ、「致傷」が非常につきにくかったです。


住居侵入、器物破損、窃盗なども罪に問われませんでした(最近、当時私が受けた警察の説明は間違っていたと知りました。やろうと思えば立件できたのです)。
その他、私が付きまとわれている間に受け続けた暴力行為、傷害も立件しようともしませんでした。
ふだんの行動と出入りしている場所等から何らかのドラッグをしているのではと思っていましたし、そのことも警察に言いましたが「証拠があるのか」と聞かれ、持ち歩いているカバンに何か入れていたと言っても、自宅から手ぶらの状態で連れてきたんだからと恩着せがましく言われました。家宅捜索なんてハナからやる気なかったです。
尿検査等はしないのかと訊いてもうるさがれました。芸能人の事件で、毛髪鑑定などがあると知ったのは最近です。当時あったのかどうかわかりませんが、あったにしても警察は行わなかったでしょう。
悪いことをしている分、正当に評価をし捜査し、その分罪を重くしようという、本来そうあるべきであろう機関としての働きは全く感じませんでした。


何度も何度も「本当にいいのか」と念を押されました。「告訴取り下げはしないのか」と。
つまり告訴取り下げを前提に最小限の動きですませようとしていたということです。


私がたくさん怪我をしているものも、こちらから言わないと写真にとりませんでした。
押さえつけられ必死に抵抗したので、腕などはものすごい数の引っかき傷で真っ赤でした。その他にも沢山の怪我をしていました。


住居侵入にも関わらず指紋もとらない、隠れていた場所の写真も撮らない、カギを盗まれ交換していたのに、他の部屋と比べればいいのに写真も撮らない。熱心なのは再現写真だけ。
何の指示もなく、事件にまつわるもの全てを捨てたかったけれど、たまたまカギ交換のレシートが残っており(当時家計簿をつける習慣はなかったので本当に偶然です)、検察に呼ばれたとき、カギを交換した証拠はあるかと訊かれ、レシートがあることを言うと、大きな証拠になると言われました。
それなのに、警察からは何の指示もなかったのです。私が捨てていたらどうなっていたのでしょう。起訴されなかったとしたら、警察の不手際です。その他にも不手際は多くありました。
こういうことは、他の被害者の話を聞いても、判決文等を読んでも、裁判を傍聴しても、頻繁に起こっています。


不安に思い連絡しても、人によっては「よく連絡してこれるな」という感じの扱いでした。
必死の思いだったのに。



結果、執行猶予がつき、野放しになりました。保護観察、もちろん無視です。
情状酌量という点で、身内の弁護士も監督する、両親も実家から出さない、と言っていたのですが、あっさりその約束は破られました。あちこち転籍していました。法的に拘束する手段はありません。どこにいるのか把握できません。
最悪だったのが、偶然会ってしまったことです。幸い物理的に手出しできない距離でした(線路をはさんだホームとホームのような感じ、と言えば伝わるでしょうか)が、あの恐怖は忘れられません。



私が一番辛く悲しかったのは、今でも苦しいのは、私が一番心配していた、他の女性に危害を加えるのではないかという恐れは現実となりました。反省とまではいかなくてもまた拘束されるのは嫌だと思い同じことをしないでほしいという私の願いは、砕け散りました。


他の女性に何人も同じことをしていたのです。立件されたのは数人の被害者でしたが、何百人と被害者を出していたようです。驚かれるかもしれませんが、じゅうぶんありうることだと思っています。
ちょうど、私が被害者である事件の、執行猶予期間が切れて数ヵ月後のことでした。犯罪自体は、執行猶予期間中も、とぎれることなく行っていたのです。私のしたことは何だったのでしょう。あれだけ苦しんで裁判を耐えたのに、何の意味もありませんでした。


しかし、そういう前科があるにも関わらず、執行猶予はさすがにつかなかったものの、懲役6年数ヶ月でした(細かいところは忘れました)。
ですが、司法関係者は、それを「とても長い刑」と表現していました。
私はこんなにも長い時間が経っても後遺症に悩まされています。「長い刑」、とてもそうは思えませんでした。
反省するならともかく、一生、善悪の区別がつかない人間です。そういう人間も確実に存在するのです。
社会的不利益の観点からも、再犯の可能性をもっと考えるべきだったはずです。
私が苦しむのではなく、判例主義、前例に倣った相場で刑罰を決める、執行猶予をつけた裁判官に責任を感じてほしいです。どれほど多くの女性が苦しむことになったのか。


長くなりました。

やはり自分の事件を思い出すと苦しくなり、なかなか考えがまとまらないです。
少し時間を置いて、リフレッシュしてからまた記事を書きたいと思います。
青森の件について、少し確認をとりたいこともありますし。


うまく自分の中で整理しきれていません。


メール返信、遅れています。申し訳ありません。